トントロおいしいメモ

資格試験、仕事、食べたもの、空の色など。

君と好きな人が100年続きますように

ここ数日、寝る直前にこのブログを書いていて、文章がめためたな理由はそれにしようと思ったんですけど、日中に書いてもめためたなのでもはやどうでもよくなりました。ちなみに今日は、夕方にひさしぶりにジョギングしてきたのですごく眠いです。

 

さて、今日英語の勉強をした際の教材でも題材になっていたのですが、最近は「人生100年時代」という言葉をよく見聞きするようになりました。

 

(関連)厚生労働省人生100年時代」に向けて
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000207430.html

 

この「人生100年時代」という言葉の意味は、単に世界で寿命が延びているというだけではなく、ライフスタイルにも大きな変化をもたらす可能性があるというものです。今までは「教育を受けて、働いて、老後を暮らす」という3ステージの人生を過ごしてきた人が圧倒的多数だと思います。けれど、『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』の著者でロンドンビジネススクールの教授を務めるリンダ・グラットンさんは、「マルチ・ステージ」という概念を提唱していて、多様な働き方や生き方を複数選択していくというものです。従来の単一的なものではない、新しい働き方や生き方を自分で作り出していく必要性が現実的に表れてきそうな予感がします。

 

僕は今会社員をしながら英語や資格試験の勉強を少しずつ進め、今後の働き方や生き方を複数選べるように準備を始めているところです。しかし、働き方や生き方について、もっと広い視野で多くの選択肢を検討してみてもいいのではないか。英語の教材を読んで、今日ふとそう思うに至りました。まあ、どの選択肢を選ぶにしても、妻とずっと仲良く暮らしていきたいです。100年でも、1000年でも。

なにをやらないか

4月25日から、4都府県を対象に緊急事態宣言が発出されることになりましたね。もはや「緊急事態宣言を出さないよりは出したほうがまし」くらいの位置づけで発出しているんだろうなと、僕は理解しています。この状況に慣れてしまったようで、正直自分が怖いです。

僕は会社員として仕事をしていても感じるのですが、有事の際は、リスク管理能力や慎重さがリーダーに求められる気がします。景気がいいときや平時のときは、先鋭的な企画や営業活動が礼賛されて「なにをやるか」が大事そうですが、現在のような苦難の中では綿密なリスク分析を経て「なにをやらないか」を選ぶ判断が必要だと思います。

過去2回の緊急事態宣言や今も10都府県で適用されているまん延防止等重点措置について、その効果はどうだったんですかね。どの程度検証されたのかはなんともわかりません。ただ、もしも「3回目の緊急事態宣言を出しても効果はなさそう」という想像が働けば、緊急事態宣言は「やらない」で、別の措置を練るプロジェクトが動いていると思うんですよ。けど現実にはきっとブレイクスルーは生まれていなくて、今までやっていた施策をなんとなく繰り返して体裁を取り繕ってるだけのように見えます。

今の国会や政府は、自分たちが「なにをやらないか」を検討しているのではなく、国民に対して「なにをやらせないか」を選んで、十分な立法もしないまま「要請」とか「自粛」という言葉でなんとなく国民に我慢を強いています。世界的な未曾有の苦難が続いて慣れてしまっているのかもしれませんが、僕たちは本来憲法で保障されているはずの自由権として、移動の自由、集会の自由、営業の自由などが制約されているんですよね。コロナ禍の終息した後にこの苦難を振り返ったとき、人権に対する考え方が一変してしまわないか、けっこう心配です。

創造よりも想像

今日はいくつかの仕事を前進させることができて、プライベートでも妻がすごくがんばったおかげで楽しく素敵な進展があり、疲れたけどとてもいい一日でした。

 

今取り組んでいる業務はいくつかありますが、大雑把にその一つを挙げると、新型コロナの感染拡大が続いている中で、社員のみんなが安全で効率的に仕事を進めることができるための体制を作っています。そのほか、日常的には同僚が作った文書をレビューする業務が多く、今日もWordの変更履歴機能が活躍しました。

 

ほかの人の文書をいろいろ審査・確認していると、書き手の仕事に対する姿勢とか能力がわかってきます。

たとえば、情報システム部門の企画担当者2人がそれぞれ別の「社内システム導入企画書」をA4用紙1枚で作ったとして、Aさんは導入しようとするシステムの機能、導入の背景や目的、コスト、導入スケジュールなどを端的にまとめる。一方、Bさんは、自分がそのシステムを入れようと思ったきっかけから企画書を書くに至ったまでの思いとか苦労を時系列で書いていく。この2人を比べると、小説やブログとしてはBさんのほうがおもしろいかもしれないけど、仕事としてはAさんのほうが必要事項を伝える基礎力があります。

Aさんの書いている項目は「システム導入企画書」ならば必要不可欠であろうものばかりなんですけど、こういう基礎事項を書いているうちに、「上司はコストの内訳とか妥当性を細かく聞いてくるから、ベンダーに相談して手元資料を作っておこう」とか「常務に説明するときは営業部門が使っている現システムの満足度とか課題が聞かれそうだから、営業部門にヒアリングする時間を多めにとって企画書に補足しておこう」という風に、想像する土台ができるんですよね。「システム導入企画書」に限らず、ビジネス上の文書を書くためには、記載すべき基礎事項を項目立てしたうえで、読み手が知りたいことを「想像」して補強していくことが大事ですね。

 

ビジネスとか企画ってなると、クリエイティブな「創造」という言葉が礼賛されがちですけど、僕はどちらかといえば、同僚や取引先のことを思って、困っていたり助けてあげることができないかなという「想像」のほうが大事だし身近だなと思います。

オンライン会議に映る自分を見直す

お笑いタレントの明石家さんまさんは、自分が出演した番組を録画していて、自宅でそれをすべて観て、自分の姿や話すタイミング・内容などを検証しているそうですね。その気持ち、先ほどわかりました。

 

今日は社内のオンライン会議に2つ参加し、いずれも僕のプレゼンする場面がありました。ここ1ヶ月ほどそのプレゼンのために着実に準備を重ねたおかげで、問題なく終えることができました。

 その後、というか、つい先程ですが、その2つのオンライン会議を動画形式で閲覧してみました。プレゼンでの説明ぶりを検証するつもりで動画を観たのですが、第一印象はプレゼンと全然関係ないことで、「俺太ってるわ」でした。

ここしばらく外出を最低限に抑えていて運動をしていなかったり、新婚生活で妻と自宅で食べるごはんがおいしかったり、妻に内緒でこっそりチョコレートを食べていたり、太っている要因はいくつか考えられます。しかし、僕が動画でより気になったのは、動画に映る自分の態度がけっこうふてぶてしい点でした。他の人が話している際に眉をしかめて首をかしげたり、顎に手をやったりして、会議中の自分がとても生意気そうに見えたのです。これは良くない。

 

先程動画を観る前まで、僕は社内で割と謙虚な立ち居振る舞いをしていると自覚していました。すべての同僚に穏やかな敬語で話しているし、あいさつもかわして、メールも丁寧で。けど、会議の中の僕はふてぶてしく太っていた。日常で自分は謙虚であるという自覚も、謙虚さを笠に着ているだけのように思えてきました。

 

もはやプレゼンを無事に終えた安心感は吹っ飛びました。オンライン会議に映っていた自分をもう一度観て、自分のとるべき態度や姿勢を改めようと反省しているところです。

ムラを少なくしたい

今日は、僕が仕事上で自他に対して持つ印象や感覚みたいなものを書こうと思います。

 

僕はこれまでに何度か転職して感じるのですが、新しい会社に入社したてのとき、周りの人たちがみんなすごく優秀に見えませんか。もしあなたがそう見えないとしたら、それはあなたがすごく優秀だからですし、もし周りを優秀に見えたとすれば僕の仲間です。

入社直後は、その会社の人たちのことがよくわからないし、新しい環境でうまくやっていけるかもわからないし、僕が今の会社に入社した日はオフィスの入口がどこにあるかもわからなくて、おかげで入社日はたくさんの冷や汗をかきながら2分遅刻しました。

遅刻しながらも無事にオフィスに入って入社のあいさつを済ませると、周りの人はみんなシャキッとしたスーツを着ていたり、難しそうなことを電話で話しているし、コピー機は新しい。周りの人を「うわーすごく優秀そう」と思う気持ち、我ながらわからなくもないように思っています。

 

ところが、入社してから数ヶ月とか半年程度経つと、同じ部署の同僚や上司部下だとか、席が近い同僚などについて、印象が変わってきます。入社当初に持っていた「優秀そう」という思いがさらさらとなくなっていくのです。

これは僕の仕事覚えがいいとかではなく、周りの人たちの仕事ぶりがいろいろと見えてくるからです。同僚に対する仕事の印象を構成する要素はいろいろありますが、ぼくにとって最も大きな要素は「一定期間の中で仕事ぶりにムラがあるか、ないか」かなと思います。

たとえば、Aさんはある日にすごく洗練された稟議書を書いて90点だけど、別の日はろくに準備もせずミーティングに臨んだりして40点、という人。一方、Bさんは毎日いつも65点くらいの仕事をする。こういう2人がいたとしたら、僕はBさんのほうを相対的に優秀に感じて、仕事の相談をすることになります。

 

つまり、いつも安定した質・量の仕事をしている人が、僕にとって「優秀」な仕事人です。仕事がいつも安定している人は、入社当初よりも優秀に見えます。

そんな視点で自分を見ると、僕は仕事の種類によって好き嫌いが分かれて、成果やスピードにもすごくムラが出るし、月曜に調子が良くても水曜には燃え尽きてしまうことから、「優秀」とは程遠いですね。

 

ここまで書いてみて、あまりにも抽象的で無味な内容でびっくり。ずっと無味でいれば、それはそれで安定していて、このブログは優秀になれるでしょうか。

 

ブログを始めました

タイトルのとおり、ブログを始めることにしました。

簡単に自己紹介しますと、僕は40代の会社員で、小さな会社で管理職をしています。専門分野は特になく、社内IT、総務、法務、コンプライアンスリスク管理などの社内課題に薄く広く取り組んでいるところです。

このブログでは、資格試験や英語について、僕自身の取り組みを日記のように綴っていきたいと思っています。また、会社員として仕事を円滑に進めるためのノウハウのようなものを、経験に基づいて書いていくつもりです。薄く広く末永く、よろしくお願いします。

 

さて、今日は英語の勉強について書き始めようと思います。

昔、僕はとにかくTOEICのスコアを上げるためだけの勉強をして860点を取ったのですが、その後英語をまったく実用に供していなく、結局単に履歴書をほんのり飾っただけの勉強になってしまいました。

それから10年経ってようやく当時の勉強を反省し、「実用とはなにか」とか「実用に必要な勉強とはなにか」とかを最近考えるようになりました。その検討の中、英語の勉強法に関する書籍をいくつか読み、この間の週末は野口悠紀雄さんの「「超」英語法」を読みました。出版が2006年と15年経つのに、この本には今読んでも納得できることが書いてありました。主なポイントは2つで、

  • 英語は仕事に使う道具と割り切り、自分の専門を強化しよう
  • 話す能力よりも聞く能力。また、実用英語とは英会話でなく文章英語のこと

というものでした。

このポイントは、英会話学校で勉強するのをずっと避けてきた僕にとって、かなりありがたく、希望の見えるものでした。というのも、僕は基本的に他人と話すのがまったく得意でも好きでもなく、日本語でさえもできれば人と話さないで暮らしたいと思っているからです。人見知りだし、引っ込み思案なんですよ。なのに、「見知らぬ英会話講師」と「英語」で話せというのは、英語を話す能力以前の(人として)基本的な能力を僕に求めているのです。

 

そんな悩みの放言はさておき、聞く能力や文章英語に力を入れることが大切だという前提で、英語の勉強を進めていこうと思います。